飽きるというのはとても面白い。

飽きるとは、自分の例をあげればこんなものがある。

学部1年の頃のある期間、毎日のようにボンタンアメを食べていたのが気づいたらすっかり食べなくなっていた。

飽きた、かと言って嫌いになったわけでもなければ意識して避けるようになったわけでもない。

英語では"get bored"などと訳されたりするが別につまらなくなったわけでもない。

つまらなくなるという表現は飽きるという現象の一端を表しているようにも感じるが、飽きるの本質的な意味はその対象に時間を割かなくなるということだと思う。

当たり前のことのように思えるが、より詳細に考えるとその対象に割く時間が完全に0になるとも限らない。自分のお金と時間というリソースの割り当て度合いを下げることを意味しているだろう。

飽きるというのは、行為や動作ではなく別の行為の裏側で起こる現象といえるだろう。飽きるのも飽きないのも能動的に起こせるものじゃないから、飽きずに取り組み続けることができるのは一種の才能にも思える。しかし実際は、自分の意思と無関係の現象なら環境依存のものである可能性の方が高そうに思う。

飽き性というのは様々なことに興味を持つ人に起こりやすい。また一つのことを深掘りしていくより先に他のものに手を出してしまうことで起こると言えるだろう。そう考えると一つのことを続けることを要求される環境というのはありがたいものだ。