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神曲
映画という箱
精神病院を舞台として自らをキリストや聖書, 文学作品(罪と罰, カラマーゾフの兄弟)の登場人物と思い込む人が住んでおり, 以下のようなシーンが映し出される.
シーン
- 創世記のアダムとイヴが知恵の実を食べてしまうシーン.
- 最後の晩餐のように食卓を囲み, イエスがパンを分け与え葡萄酒を飲み, 預言者と哲学者が神の存在に関する議論を行うシーン.
- ラスコーリニコフとソーニャが会話を始める。ソーニャがラザロの復活を読み上げるのと並行して自ら棺に入ったラザロが起き上がるシーン.
- イヴァンからアリョーシャへ劇詩を読み上げるシーン.
- ラスコーリニコフがソーニャへ自らの殺人を打ち明け, 院長へ自らの罪を伝えに行くシーン.
- マルタのピアノ演奏が終わり窓越しに見ていた皆が窓の外へ消えて行き最後にカチンコが終了を告げる.
これらそれぞれのシーンを断片的に切り取って見ればそこに存在するのは間違いなくアダムとイヴであり, ソーニャとラスコーリニコフであり, イヴァンとアリョーシャと言ったそれぞれの物語の劇中の人物のはずである. しかし複数の物語の人物が空間を共有すると先ほどのシーンはある箱の中で繰り広げられていた物語にすぎないと見做せてしまう. その一方で3のシーンでは別々の箱の中にいたはずの人が協調し一つの場面を再現してしまう.
オリヴェイラが「映画は映画でしかない」と述べているように, この映画の最後には映らないはずのカチンコが映ることで, この映画は映画として完結した閉じたものではなく, あなたが今いる世界の一部を切り取ったものでしかないことを告げている。
そこで視点を演者に移せば, 私たちは今どんな箱の中にいるだろうか, と問うこともできる. 部活動に励んでいる中高生であれば自分の挫折や日々の練習, そして試合での活躍など様々な出来事がありそれを一つの単位として箱に見立てることができる. 自分がその箱にいると思っている一方で実はその箱が誰かの恋愛物語という箱の中のものだったかもしれない. あるいは自分の箱の中に独立な単位の箱に分割できる部分があるかもしれない.

ソーニャとラスコーリニコフが話している部屋にノックの音がして二人はカメラの方へ振り向き, ラスコーリニコフがフレームアウトしてソーニャがカメラを見つめるカット.
参考
- 【オリヴェイラ特集】「神曲」オリヴェイラが解説する宗教と人間の関係
- 紀伊國屋書店DVD付属のリーフレット
注
画像は紀伊國屋書店DVDより