最近は森見登美彦の「四畳半タイムマシンブルース」を読んだ。それからクリストファー・ノーランの「TENET」をみた。

時間の扱い

四畳半タイムマシンブルース

そのタイトルの通りタイムマシンが存在して主人公一行は時間旅行をしてしまう。ある指定した時間に自分自身が移動するのがタイムマシンの振る舞いといえよう。そこで問題となることがタイム・パラドックス。例えば、タイムマシンで1日前の世界に行ってそこにいる昨日の自分を誰も訪れない山奥の倉庫に監禁してしまう。するとなぜ今自分はこうして自由に動くことができているのか?監禁されて動けないはずでは?そもそも自分は昨日監禁された記憶などない、と言った具合に矛盾が起きてしまう。

TENET

この作品ではタイムマシンは存在しない。正しく理解できているかわからないが、代わりにゲートというものが存在する。このゲートを通ると時間の矢が逆になる。物理学で言えばエントロピー増大の法則、これが逆に働く。熱湯を置いておくと冷めて常温になることの逆を考える。エネルギーは保存するなら熱が唐突に偏在するような現象と言えるだろうか。このような時間の進み方だけで言えば、「僕は明日、昨日の君とデートする」という小説があるがこれは理論的な運動の描写はないし逆行は日付単位のため参考にならない。

順行・逆行現象が同一空間に生起することの整合性とか逆行する現象の中で感覚器官がそれをどのように受容するのかがわからない、言ってみれば時間逆行の経験がないために理解とか共感に繋がらない映像が多くあったと感じる。

小説と映画における時間・描写

映画版「僕は明日、昨日の君とデートする」は一応見たけれど、それがどのように語られていたかはあまり記憶にない。けれども確か「僕が愛美と最初に会った日は、愛美にとっては僕との最後の日だったんだ」といった独白として説明が行われていた。このような独白もなく2人の会話が噛み合わない様子だとか不可解な手帳が発見されて疑問が提起されていたらよりミステリアスな作品に仕上がっていたかもしれない。もちろん大ヒット小説を人気俳優女優でキャスティングした作品でそんな演出の仕方をするわけはないのだが。小説では時間の仕組みの描写は主人公の理解として読者と共有される。

一方「TENET」ではどうだろうか。主人公は理論的にも体感的に時間の逆光の仕組み、そしてミッションのゴールをスラスラ理解している。一応説明となる描写は存在したのかもしれないが、通常の知覚と異なる形式の世界を映し出しただけで人は理解できるものではなく状況は観客と共有されていない確率が高いと考えられる。文章は意味のある塊が並んでいるから順に処理していけば一応は頭に入るかもしれない。一方の映像は観客に有無を言わさず次のカットに切り替わり、そこでは見逃しだったり見間違えが起こる。これでは理解に至るのはとても難しい。一般には類推や想像を頼りに解釈が可能でない現象は映画においてどのように描写すればいいのだろうか。