季節の変わり目は大変わかり良い。

まず季節は巡ってくれるし(日本は特に顕著と思われ)祝日とか気温とか梅雨とか雪とか花粉とか(花粉症まだだけど)食べ物とか、生活をしていると否が応でもわかってしまいがち。人に嫌われたくないから常日頃から細心の注意を払って勘の良いガキにならないようにしていてもわかっちゃう。

一方の人生はどうだろうか。

ええ、この対比構造、勘の悪いガキでもわかるように大変わかりづらい。

映画やドラマ、漫画のような出来事がポコポコ起こるような人ならリアルタイムで気づいてしまうかもしれない。おまけに「これ人生の変わり目じゃね?」と突然ギャルみたいなノリが発現してしまうかもしれない。でも大半の人はそうじゃないですよね(この文の係りはお好きな方にどうぞ)。はい、そうじゃないんです。

起きたらもうお昼、スマホを眺めて深夜 2 時過ぎは当たり前、そういう日々を重ねていった、あの日あの時あの場所でふと気づくのだと思いました。

少し昔のことを思い返してみたりしたその瞬間に、なんか風向きが変わったというか、風がなくなったというか、たった数年前の自分に途方もない距離を感じて、その間のどこかに人生の変わり目があったのではないかと気づく気がしました。

これって自己疎外では?と話が逸れそうな気持ちをグッと堪えて、いやでもこれは結構本質的かもしれない。。


久しぶりに文章を書いた気がする。それは正確には嘘なんだけど、つまり、いつも書いてる文章というのは仕事で作業ログとか相手と要件を伝え合うとかそういうある種の求められた形のある文章な訳でして。そういう文章でももちろん文体とか癖は出るだろうけど、足枷というかガードレールみたいなものがあるかないかではきっと文章の現れ方が変わってくるでしょう。

お仕事では「レビュー」という見て良し悪しを判断する行為が多かれ少なかれあるんだけど、そのせいか推敲をこれを書いてる段階からしてしまっていて。

そう、お仕事で書く文章に自分らしさはなくてもいいんですね。読み手が理解できることが大事。でもこうやって自由に書き散らす文章では、自分の好きなように書きたいなと。

さっきの「気持ちをグッと堪えて」というのはなんだかありきたりというか、私はそんなグッと堪えるような性格じゃあないんだよともう一人の僕が頼んでもいないセルフレビューをかましてくるんですね。

それから、ですます調とだ・である調(敬体と常体なんて言うらしい)が混じっているのは、文章の書き方的にはよろしくないとされる気がするんだけど、独り言的にインターネット空間に放っているつもりの文章と誰かに聞いてほしい、聞いてるよね?という文章とで調子が変わってくるのは極々自然なことだと改めて思ってみたり。


ほんの少し前でしかないはずの自分に途方もない距離を感じる時。

私はその距離に少しばかりの寂しさを覚えました、過去の自分にどこか憧れを抱く、でも今の自分には似合わないなと捨てるような。

おっと、危うく御し易い人生になるところだった。