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王国(あるいはその家について)
MUBIにて
あらすじ
「あの台風の日、あの子を川に落としたのは私です」
長年の友人の娘を殺害した亜紀が取調室にいるシーンから始まる。
それから舞台を稽古場に移し、悲劇的な事件の背景を辿るための台本読みが次々と行われていく。
感想
あらすじの通りなのでネタバレというほどのネタバレはない。鑑賞体験にこそ意味がある、物語として書き下せる類の映画ではないと思った。
面白かった点は、台本読みが繰り返され、セリフ自体も少しずつ変わる中で、最初はセリフが自分のものになっていなかったがゆえの不自然さが解消されていく、役者の表情やカメラポジションが変わる中で言葉の強度が増して行ったこと。
また、何度も繰り返し同じ内容のセリフを聞き、セリフ自体や抑揚の少しの変化が与える全体への影響を感じ考える一方で、特に変化していないと思われる言葉からもその機微が感じられ、その言葉の裏にある発話者の人間性が想像されのが非常に面白かった。
現象は時と空間の一回性を持っていてなんでもない会話を繰り返すことはあまりないし、無意味に思われるかもしれない。
けれども、言語感覚というのはそういう会話を繰り返すことで養われていくのかもしれない。
そしてその局地として、ある人たちの間だけで成り立つやりとりにより生まれる固有の時空間、それをこの映画では王国と呼んでいるようだ。
とっても素敵だ、それは手に入れるのが難しいし時間もかかる、かけがえのないものだ。
より具体的に
もう少し背景情報を説明すると、主な登場人物
- 亜紀(出版社を休職中)
- 野土香(亜紀の小学校からの友人)
- 直人(野土香の夫、中学校の美術の先生)
の3人で台本読みが行われる。
加えて演者はいないが野土香と直人の娘の穂乃香(3歳)がいる。
また3人は大学で同じサークルに所属していたことが話される。
話の大きな流れとしては下記のようになっていると思う。
- 亜紀がなぜか仕事が手につかなくなり休職し実家(茨城だったかな)の方へ戻る
- 4年前に結婚し茨城でマイホームに住む野土香・直人夫妻の家に遊びに行く
- 亜紀と野土香と穂乃香ちゃんの3人で車を出し買い物に行った
- 亜紀は野土香が留守にする間、穂乃香ちゃんの面倒を見る機会があった
- しかしその後、穂乃香ちゃんは熱を出してしまった
- 一時は距離を置くことになったが再び野土香が留守の際に穂乃香ちゃんの面倒を見る機会があった
ただし、この通りに行動が描写されたわけではなく、あくまで話は台本読みとして展開された、つまり会話だけだった。
主な会話は下記のものがあった。
- 亜紀と野土香、二人の王国について
- 亜紀と野土香と直人、直人の働く中学校について
- 亜紀と直人、口論
- 野土香と直人、亜紀について
- 亜紀と野土香、4を受けての話
2の会話
亜紀が「城南中といえば昔は荒れていた、だから直人さんは落書き教えているのかと思った」という旨を話すと次のように返しが続く。
- 直人「そうかぁ?」
- 野土香「あぁ〜わかるかもぉ〜」(楽しそうに)
こうやって言葉で書き下してしまうとやはり抜け落ちて伝わらない部分もあるだろうが、私は野土香の返しが不自然に感じた。直人の返しはそれまでの会話で自分の中学校が昔荒れていたと言ってもそんなひどくないんだろと相手の物言いに対してあまり肯定的に受け入れない姿勢が感じられていたからまずまず一貫性がある。好きではないが。ただ野土香の返しに関しては、3人の会話としてはあまりにフランクすぎるというのかテンションの上がり方が唐突だった。これはのちの台本読みでは「わかるかも」と静かに納得するように変わっている。
4の会話
- 野土香「亜紀の休職には何かいえない事情があるんだよ」
- 直人「それを言ったら殺人鬼にだって何かしらの事情はあるだろ」
- 野土香「それは言い過ぎ」
- 直人「悪かった、ごめん、言いすぎた」
という会話があるがのちに最後のセリフは「悪かった」だけのシンプルなものに変わっている。これは最初のものが不自然に感じられた訳ではないが、このあと直人は亜紀を排斥するような論理を持ち出して話を展開することに加えて直人の人柄を考えると家庭(これも王国と言える)を守ろうとする彼にとっては謝るほどのことでもなければ言い過ぎでもないのかもしれない。不自然さを感じなかったそういう部分について鑑みることができた、それ自体が素晴らしいことに思える。
これは繰り返し見ることでさらに感覚が研ぎ澄まされて新しく見えるものが出てくるのではないかと思う。MUBIで1ヶ月だけだなんて。。。
P.S.
この台本読みの繰り返しは推敲と似ている。台本読みでは役者が言葉を発することで瞬間的に世界が生まれる事が大きな違いだと思う。
注
画像はMUBIの配信より